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東京地方裁判所 昭和42年(ワ)3402号 判決 1968年6月20日

原告

岡戸嘉門

代理人

中山善作

被告

株式会社安井工務店

被告

安井載淳

右両名代理人

島林樹

復代理人

三善勝哉

主文

被告株式会社安井工務店は、原告に対し、金一七〇万円およびこれに対する昭和四三年二月一日以降年五分の割合による金員の支払いをせよ。

原告の被告株式会社安井工務店に対するその余の請求および被告安井載淳に対する全請求を棄却する。

訴訟費用中、原告と被告株式会社安井工務店との間に生じた分は三分して、その一を右被告の負担、その余を原告の負担とし、原告と被告安井載淳との間に生じた分は、全部原告の負担とする。

本判決第一項は、確定前に執行できる。

事実

原告訴訟代理人は「被告らは原告に対し、各自八〇〇万円およびこれに対する昭和四二年四月一日以降完済まで年五分の割合による金員の支払いをせよ。訴訟費用は被告らの負担とする」との判決および仮執行の宣言を求め、請求の原因として、次のとおり述べた。

一、昭和三九年一月七日午前一一時四五分頃、都内世田谷区玉川中町二―八九地先交差点において、訴外吉田清次郎の運転するダンプカー練一そ五七二号(以下甲車という)と原告の運転する原動機付自転車狛江一三六三号(以下乙車という)とが衝突する事故があつた。

右事故により、原告は路上に顛倒し、右大腿骨骨折の傷害を負うた。

二、甲車は被告会社の所有する車であり、被告会社は甲車の運行供用者であつたから、原告の損害につき賠償責任がある。また、被告会社は土木建設請負業および運送事業を営んでいるが、被告安井はその代表取締役であつて、被告会社に代つてその使用人の監督をなしているものであるところ、甲車運転者である訴外吉田清次郎には交差点進入上の注意義務違反の過失があつたものであるから、被告安井は、被告会社の使用人である右訴外人の不法行為により生じた原告の損害につき、賠償責任がある。

三、原告は右大腿骨骨折および併発するに至つた骨髄炎治療、擬関節を生じたための骨の切削手術等のため、次のとおり入院、退院を重ねた。

昭和三九年一月七日 小倉病院入院

四月一〇日 退院

六月一五日 同病院 入院

七月三一日 退院

昭和四〇年一月八日 同病院 入院

一月一八日 退院

昭和四一年一月六日 関東労災病院

入院

五月三一日 退院

九月二一日 同病院 入院

一二月二七日 退院

昭和四二年四月一七日 同病院 入院

五月一三日 退院

四、原告は、右のとおりの入院後も完治せず、右脚は約四糎も短くなり関節の屈曲不全がある。また妻は入院看護の疲れから昭和四一年一一月一六日脳溢血で死亡した。然るに被告側からは賠償解決につき何の誠意も示されない。この精神的苦痛を医すため慰藉料三〇〇万円を請求する。

五、事故当時原告は株式会社若月製作所の代表取締役として報酬月額六万円を受けていたが、右のとおりの入院のため昭和四〇年一〇月退任を余儀なくされ、以後はその収入を失つた。また事故当時、原告はミクニ交通株式会社にタクシー運転手兼班長代理として勤務し、月収五万円以上を受けていたが、本件事故後は休業補償月額三万一九七三円を受けたに止まる。従つて、原告は、事故後昭和四〇年一〇月までは、休業補償との差額月一万八〇二七円、同年一一月以降は右役員退任のため月七万八〇二七円の収入減となり、更に、昭和四二年七月一三日以降は月額三万一九七三円の休業補償が打ち切られたため、月一一万円の損害を受けている。ただし、昭和四二年八月には障害一時金六一余万円の給付を受けたので昭和四三年二月二四日現在の実損額は二一七万円余りであるが、将来就職できたとしてもその能力は半減しているので、大正五月七月生れの者としてなお一三年間を稼働可能としてもその損失は六〇〇万円を越え、合計八一七万円以上となる。過失相殺を考慮してその内金五〇〇万円を請求する。その内訳は、過去の分二一七万余円中九八万五〇〇〇円、将来の分から四〇一万五〇〇〇円である。

六、よつて、被告ら各自に対し、金八〇〇万円および事故後である昭和四二年四月一日以降支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

被告ら訴訟代理人は、請求棄却・訴訟費用原告負担の判決を求め、請求原因に対して、

第一項は認めるが、原告の傷害部位は争う。

第二項中、甲車が被告会社所有車であること、また被告会社が原告主張の事業を営んでいること、被告安井が被告会社の代表取締役であることは認めるが、訴外田中に運行上の過失があるとの主張および被告安井がいわゆる代理監督者にあたるとの主張は、争う。吉田に過失がないことは後記(三)免責の抗弁に記載したとおりであり、また運転手の監督は配車部長中野忠、その選任は人事部長今井広吉が当つたものであつて、被告安井は代表取締役ではあるが、直接運転手を指揮監督していない。

第三項は不知。

第四項中傷害の部位程度は争う。なお、骨髄炎の悪化は原告の体質によるものである。

第五項は不知。ただし、株式会社若月製作所の取締役退任による逸失利益は本件とは相当因果関係がない。また、現在原告は自動車運転可能の程度まで回復しているものである。

と答え、抗弁として、

(一)  消滅時効の援用

本件事故は昭和三九年一月七日であるところ、本件訴の提起は右日時から三年を経過しているから、損害賠償請求権は時効により消滅した。

(二)  被告填補

原告は労災補償保険法による障害一時金として金六〇万一六五〇円、治療費として一二六万八一八四円、更に事故後から昭和四二年七月一二日まで一日平均賃金一七一八円二六銭の六〇%に相当する休業補償を受領し、結局、受領総額は三二九万四一五九円に達する。(このうち、治療費は原告の請求しないところであるが、後記のように過失相殺がなされると過払分が出るので、これについても弁済の効果を主張する)右金額は控除さるべきである。

(三)  免責

本件交差点は幅員約六―七米の道路が交差する交通整理の行われていない交差点であるところ、甲車は先に交差点に進入し、その時乙車は交差点から二〇米も離れていたのであり、また乙車前方左側には一時停止の標識もあつたのであるが、原告は後方の荷台に気を配つて頭がうしろ向きであつたため、そのまま交差点に進入してしまつたものである。従つて、事故発生は原告の一方的過失に起因するもので、甲車運転者には過失はない。また甲車にはもとより構造欠陥、機能障害もない。従つて、運行供用者たる被告会社には賠償責任はない。

(四)  過失相殺

かりに被告会社に責任ありとしても、右のような乙車の運転者たる原告にも過失があるから、損害の査定につきこれを顧慮すべきである。

と述べた。

原告訴訟代理人は、これに対して、

一、(イ) 消滅時効の起算点が事故当日であることは争う。原告が本件加害者を知つたのは、昭和三九年一二月一日である。すなわち、前記小倉病院から昭和三九年七月三一日一旦退院し、翌年一月の再入院を待機中、右日時に玉川警察署に出頭した際初めて加害者吉田清次郎の氏名住所を知つたのである。本件訴はそれから三年以内である昭和四二年四月七日提起されたのであるから、消滅時効は完成していない。

(ロ) かりに然らずとするも、時効は中断している。すなわち、

被告会社は昭和三九年三月二三日付消印ある書面で本件債務を承認したので、時効は中断し、その完成は昭和四二年三月二三日となつたところ、原告は被告会社に対し、代理人名義を以て昭和四二年二月二五日到達の内容証明郵便で損害賠償を催告し更に中断させ、その六カ月以内である同年四月七日本件訴を提起したわけであるから、時効は遂に完成に至らなかつたものである。

二、被害填補の主張中労災保険による障害一時金の額および休業補償額ならびに総額が三二九万四一五九円なることは被告主張のとおり認める。

三、事故発生については原告にも過失があることは認める。すなわち、原告は左方に気をとられて甲車に気がつかなかつたのである。しかし、甲車が交差点に先入したとの主張は否認する。先入したのは乙車であるから、甲車運転手の方が過失は大である。また、原告は急ブレーキを踏まなかつたが、それは、長年の経験から急ブレーキにより転覆が却つて危険であるとの突嗟の判断に基づく反射活動である。

四、被告の時効主張は虚偽の事実に基づくもので、訴訟法上の信義則違反である。

と主張した。

被告ら訴訟代理人は、更に、これに答えて

(一)(イ)  原告が加害者を知つたのは昭和三九年一二月一日であるとの主張は否認する。事故発生直後甲車運転手吉田清次郎は原告の小倉病院入院の手配をし、また翌日も、一週間後も見舞つている。故に原告は、おそくとも事故の翌日である昭和三九月一月八日には加害者が被告会社の吉田清次郎なることを知つていたものであり、時効の起算点の要件としての「加害者を知る」というためには、それで足りる。

(ロ)  被告会社が昭和三九年三月二三日付消印ある書面を発送したこと、原告が昭和四二年二月二五日到達の催告の内容証明郵便を発送したこと、および同年四月七日本訴を提起したことはいずれも認めるが、時効中断の効力は争う。かりに昭和三九年三月二三日付消印ある書面が承認であるとしても、それは原告の右請求時までの入院治療費について労災による填補額を控除した差額についてなされたもので、一部(確定額)の承認に過ぎぬ。かりにそうでないとしても、その書面による意思表示の内容は、労災補償保険法により国から求償を受ける限度で承認したに止まる。従つて、その余の部分については時効中断の効力は生じない。

と主張した。

<証拠略>

理由

一原告主張の日時にその主張の場所で、その主張の両車の衝突事故があり、原告が傷害を負つたことは当事者間に争いがない。しかし、事故発生の状態および両車運転者の過失割合については争いがあるので、まずこれを判断する。<証拠>を総合すると、次の事実が認定できる。

事故地点は、どちらも幅員5.6米の歩車道の区別のない道路が直角に交わる交差点で、交通整理は行われておらず、ブロック塀、石垣等により見通しは悪かつた。衝突個所は交差点の略中央であるが、そこから甲車のスリップ痕がアスファルト路面(乾燥)上に七米残されている。甲車の左前部フェンダーと乙車の前部とが衝突した。甲車運転者吉田は、交差点進入時の時速が二五粁と供述するのであるが、この点はスリップ痕の長さに照らし、必ずしも措信しえない。また、被告は、乙車進路には一時停止標識があつたと主張し、乙第四号証の二はこれに副うかの如くであるが、原告本人の供述および甲第二〇号証の二にその記載のないことならびに乙第四号証各証は昭和四二年六月二五日の撮影であること当事者間に争いない事実から、事故当時一時標識があつたとの心証は得られない。また、原告が甲車進入時に二〇米交差点から離れた地点に在つたとの事実も認められない。前記認定の衝突地点および両車の衝突個所から見れば両車は殆んど同時に(乙車の時速も確定しえないので、確実には断定しえないが)交差点に進入したものと見るほかない。なお、原告は、甲車の音を左から進入する車と錯覚したというが、必ずしも措信できない。

右の認定事実からすれば、甲車、乙車共にかかる交差点進入時に要求される注意義務と徐行とを怠つていたこと明らかであるが、甲車はダンプカーであつて、その運転者としては、単車である乙車の運転者より加重された度合で交通法規上の注意義務を遵守すべきものであること、この場合乙車は甲車の左方から交差点に入る車両であつたのであるから、甲車は乙車の進行を妨げてはならなかつた筈であること等を勘案すると、その過失割合は甲車六に対し乙車四と見るのを相当とする。<証拠>に五〇%の被害者過失が認定されていることは、右判断の支障となるものではない。

二次に、原告の傷害の部位程度について認定する。<証拠>を総合すると、原告がその主張のとおり、小倉病院に三回、関東労災病院に三回の入退院をくりかえしたこと、右大腿骨開放骨折の治療中骨髄炎を併発し、偽関節を生じ、現在偽関節はないが、右膝関節拘縮を生じ、右脚が四糎ほぼ短くなつたほか、屈曲不全のため用便時しやがむのに苦労する状態であること、右治療にあたり、抗生物質をもつと多量に使用していたならば骨髄炎の併発を免れたかも知れぬが、さればとて、治療に当つて医師に過誤があつたとは言いえないこと、などを認定しうる。また、骨髄炎の悪化が原告の体質にもよることは原告自身供述するところであるが、その故に、軽々にこの部分の損害を相当因果関係なしとは断じえない。

三被告会社が甲車の所有者であつてその運行供用者であることは、当事者間に争いがない。しかしながら、被告安井については、被告会社代表取締役であることは争いがないが、進んで代理監督者責任を負わしめるためには、直接甲車運転手を選任し、その業務執行を監督すべき立場にあることを要するところ、この点については立証がなく、かえつて、<証拠>により、総務部の訴外今井広告や配車部の訴外中野忠が右の意味での代理監督者であつて、被告安井自身は社長として右両名を通じて間接に運転者を選任監督していたに過ぎないことが認められるから、被告安井に代理監督者責任を帰せしめることはできない。

四免責の抗弁が立たぬことは、前認定の甲車運転者の過失により明らかで、被告会社は原告に生じた損害の賠償をなすべき義務があるところ、被告会社は消滅時効を主張している。そして、もしその時から進行したとすれば、記録上明らかな昭和四二年四月七日の訴提起当時既に三年の時効期間を経過していることとなるわけであるが、原告は、加害者である甲車運転手吉田清次郎の名を知つたのが同年一二月一日であるから、その時から時効が進行するというのである。しかし、<証拠>によれば、同人は事故当日も、その翌日も、原告を小倉病院に見舞つて、「安井工務店の吉田」なることを告げていることが認められ、民法七二四条にいわゆる「加害者ヲ知ル」とは右の程度の告知内容を知悉することで足りると解すべきであるから、この点の原告主張は採用することができない。

しかしながら、同条にいわゆる「損害……ヲ知ル」とは、損害額確定の時をさし、その意味で時効期間の起算点は入院中よりずつと以後であると解する余地あるのみならず、かりに損害を知るとは、傷害の事実を知ることで足りると解し、右加害者を知つた時から右期間が進行したと見ても、時効は中断している。けだし、被告会社が原告に対し、昭和三九年三月二三日付消印ある書面を出したことは当事者間に争いがなく、<証拠>がその書面であることは同じく<証拠>の日付から明らかであるが、その文面によれば、右が本件事故による被告会社の損害賠償債務を承認したものと解することができる。もつとも、その文面は治療継続中は、労災補償保険法による給付があるため、また、事故については原告にも五分五分の過失相殺がなさるべきものと信じるため、直ちに差額金の支払いには応じ難い旨を主なる趣意として書かれているが、その故に、被告主張のような一部確定額についての承認と解すべきではない。不法行為債務のこの段階においては、賠償債務額自体不確定だつたのであり、被告会社の承認はその不確定なる賠償債務額についてなされたものであつて、本件不法行為による原告の傷害という点で同一性が維持されている以上、後に額が確定すれば、その債務額についての承認として時効中断の効力を生ずべきものである。

そうすると、時効の完成は右日時から三年後となるところ、原告がそれ以前である昭和四二年二月二五日到達の内容証明郵便で催告をなしたことは当事者間に争いがなく、右催告が本訴と同一性ある請求についてなされたものであることは成立に争いない甲第一一号証の一の文面で明らかである。従つて、本件訴は、時効完成前に提起されたものであり、この点に関する原告その余の主張を判断するまでもなく、被告会社の時効の抗弁は採用できない。

五(イ) そこで、損害の算定に入ることとし、まず逸失利益を見るに、<証拠>によれば、原告がその主張のとおり、事故当時若月製作所取締役として月六万円、ミクニ交通株式会社のタクシー運転手として月五万円以上を得ていたことが認められる。<証拠>は、納税申告の実態に鑑み右認定を左右するものとは言い難く、その他これをくつがえす証拠はない。そして、若月製作所は昭和四〇年一〇月までで退職したことが右<証拠>で明らかである。被告は、この退職が事故と無関係であると主張するのであるが、<証拠>によると、原告は、ピンポン台を作る若月製作所に出資したのみならず、年の若い義弟の経営を随時助言する等の立場にあつたところ、事故後の入院続きで面倒を見てやれなくなつたので義弟の妻に嫌味をいわれ、結局退職するに至つたことが認められ、このような場合の退職による収入喪失は本件事故と相当因果関係ある損害というべきである。

(ロ) そうすると、事故から昭和四〇年一〇月までは、毎月五万円、昭和四〇年一一月以降は毎月一一万円を失つたこととなる。請求原因事実を途中変更した原告の訴旨に即し再開の口頭弁論終結時である昭和四三年二月一日を計算の基準時として、まず昭和四三年一月末までの分を算出すると、ミクニ交通の運転手としての分が、事故の月である昭和三九年一月は六日まで収入があつたとみて日割で四万円強、他の月は四八カ月五万円宛で小計二四四万円、若月製作所取締役としての分が、二七カ月六万円宛で小計一六二万円、合計四〇六万円である。

(ハ) 次に、昭和四三年二月一日以降の分を考えるに、<証拠>により、原告は現在自動車運転が可能となる程度に回復していることが認められ、現在なお就職に至らぬとはいえ、将来の稼働能力喪失による逸失利益算定上は、既に右状態にある以上、八〇%を回復したものと考えてよいから、一カ月当りの逸失利益は二万二〇〇〇円となり、また原告は大正五年七月二九日生れであること<証拠>により明らかであつて、満五二歳、余命は20.78年となり、六〇歳までなお八年は稼働しうる。この間の逸失利益額を年五分の中間利息を控除する年別複式ホフマン式計算で右昭和四三年二月一日当時の価額に換算すると年額二六万四〇〇〇円に係数6.58863を乗ずることとなり、計一七三万五七九八円となる。

六(イ) 以上を合計すると、五七九万五七九八円となり、更に、被告主張を原告が明らかに争わぬから自白されたものとみなすべき労災補償保険法による治療費総額一二六万八一八四円を加えると七〇六万三九八二円となる。これが慰藉料を除いた原告の損害総額であるところ、前記のように本件事故発生については原告自身にも四割の過失あること前示のとおりであるので、これを過失相殺すると、四二三万八三八九円となる。(ちなみに、以上の算出過程においては、原告自身がその主張する五〇〇万円の逸失利益額を過去における分と将来における分とに内訳して請求したところに拘泥していない。この種の損害はすべて原告の傷害に基づく一つの損害の内訳であるに過ぎぬから、原告主張は民訴法一八六条の意味における制限の効力を有するものではないと解するからである。)

(ロ) ところで、原告が労災補償保険法による損害填補三二九万四一五九円を受けたことは原告の争わぬところである。前段の額からこれを控除すると、残額は九四万四二三三円となる。

七最後に慰藉料額を考えるに、<証拠>によれば、原告は当時個人タクシーの免許を申請していたものであるが、本件事故による入院等のため機を失し、現在では申請条件も加重されて、新たに申請することも絶望的となつたこと、原告の妻当子は、原告入院時の看病疲れも一因となつて昭和四一年一一月一六日死亡するに至つたこと等が認められ、これと前認定の入院期間および後遺症あること、<証拠に>よれば、労災補償関係では後遺症障害一〇級七号、一二級七号の併合症として九級の取扱いを受けていると認められることならびに前示のような原告自身の過失割合や骨髄炎にかかり易い体質の疑い等を総合し、慰藉料としては約七五万円を相当とするところ、総金額を端数のない金額とするため、これを七五万五七六七円とする。

八そうすると、総金額は、一七〇万円となるわけであり、結局、原告の被告会社に対する請求中、一七〇万円およびこれに対する昭和四三年二月一日以降支払い済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める部分は正当であるから、これを認容することとし、その余は失当としてこれを棄却し、被告安井に対する請求は、全部失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担については、民事訴訟法第八九条、第九二条に従い、仮執行宣言については同法第一九六条に従つて、主文のとおり判決する次第である。

(倉田卓次)

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